臨床経験20年以上の治療家が発信する治療家セラピストマガジン
基礎テクニックこそ、時間とお金をかけるべきだと思う。
なぜなら基礎は地味で目立たない一方で、結果の「再現性」と、患者さんからの「信頼」をつくる土台になるからだ。治療という仕事は、派手なパフォーマンスではなく、目の前の人の体と心に確かな変化を起こし続けることが求められる。そのために必要なのは、流行りの技を増やすことよりも、当たり前を高い精度で積み上げる力だと感じている。
治療家として学び始めると、「最新の手技」「これさえ覚えれば劇的に変わる」「魔法のように改善する」といった言葉がどうしても魅力的に見える。実際、新しい知識や視点に触れること自体は悪いことではないし、臨床の幅を広げるきっかけにもなる。けれど、そこに大きな落とし穴がある。新しいテクニックを追いかければ追いかけるほど、手札は増えるのに、なぜか結果が安定しない。学ぶほどに迷いが増えて、施術中に「次はどれを試そう?」と選択肢ばかりが頭をよぎる。そんな経験は、多くの治療家が一度は通る道ではないだろうか。
この「結果が安定しない」原因は、技の種類ではなく、基礎の弱さにあることが多い。具体的には、評価(見立て)が浅いまま技を当ててしまうことだ。痛みや不調には理由があり、体のどこがどうなって今の状態になっているのかを掴む必要がある。けれど基礎が弱いと、触診の情報が曖昧だったり、可動域の変化を正確に読み取れなかったり、反応の観察が表面的になったりする。すると「たまたま当たった時だけ効いた」という出来事が起こる。効いた時は嬉しいから、その技を信じたくなる。効かない時は「もっと別の技が必要だ」と思い、また新しいテクニックを探しに行く。こうして技を集め続けるのに、軸が育たず臨床が迷子になる。
一方で、基礎テクニックは派手さはないが、確実に差が出る要素の集合体だ。例えば、触れ方ひとつ。手の置き方、圧の方向、深さ、スピード、支持の取り方、呼吸との合わせ方。体への「入力」が少し変わるだけで、患者さんの受け取る感覚も、組織の反応も変わる。さらに評価も同じで、可動域を測る角度、左右差の見方、抵抗感の質、痛みの出方、変化の追い方。これらを丁寧に積み上げると、「同じ技なのに結果が変わる」瞬間が増えていく。言い換えると、基礎が整うほど、少ない手技でも結果を出せるようになる。
そして感動を生むのは、実はこの“当たり前の精度”だったりする。患者さんは専門用語は分からなくても、「触れられた瞬間に安心した」「任せられる感じがした」「説明が腑に落ちた」「変化が分かりやすかった」といった体験として受け取る。魔法のような派手な技より、毎回ブレない評価、無理のない刺激、確実な変化の提示がある方が、信頼は積み上がる。さらに、基礎がある治療家は、結果が出なかった時の立て直しも早い。なぜなら「どこが変わって、どこが変わっていないか」を見て次の一手を組み立てられるからだ。これが臨床の安定感につながる。
もう一つ大事なのは、基礎が“最新テクニックを活かす受け皿”になるという点だ。基礎がある人は、新しい技術を学んでも「この手技が狙っているのは何か」「適応はどこか」「禁忌は何か」「今この患者さんに必要か」を判断できる。だから新しい技を入れても、臨床にスッと馴染む。伸びも速い。逆に基礎が弱いと、どんなに優れた技を学んでも“それっぽく”はできても狙いが曖昧になり、効果が安定しないまま終わってしまう。つまり最新かどうかは問題ではなく、基礎の上に乗っているかどうかが問題なのだ。
だからこそ、時間とお金の優先順位は基礎に置くべきだと思う。触診・評価・基本操作・説明・施術プランの組み立て・変化の検証。ここに投資する。派手なセミナーで「すごい技」を増やす前に、地味な反復で「同じ結果を出せる自分」を育てる。遠回りに見えて、実は一番の近道だ。
もし今、伸び悩みを感じているなら、「新しい技を探す」より先に、「基礎のどこが曖昧か」を見直してみるのがいい。圧は適切か、評価は一貫しているか、変化を説明できているか。基礎を丁寧に磨くほど、技術は「感動」に変わる。治療家として本当に強いのは、流行を追いかける人ではなく、当たり前を高い精度でやり切れる人だと、僕は思う。

